三つの挿話
堀辰雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)常泉寺《じょうせんじ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この頃|向島《むこうじま》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
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     墓畔の家

 これは私が小学三四年のころの話である。
 私の家からその小学校へ通う道筋にあたって、常泉寺《じょうせんじ》(註一)という、かなり大きな、古い寺があった。非常に奥ゆきの深い寺で、その正門から奥の門まで約三四町ほどの間、石甃《いしだたみ》が長々と続いていた。そしてその石甃の両側には、それに沿うて、かなり広い空地が、往来から茨垣《いばらがき》に仕切られながら、細長く横《よこた》わっていた。その空地は子供たちの好い遊び場になっていた。そしてその空地で遊んでいる分には、誰にも叱《しか》られなかったが、若し私たちがその奥の門から更に寺の境内に侵入して、其処《そこ》のいつも箒目《ほうきめ》の見えるほど綺麗《きれい》に掃除されている松の木の周《まわ》りや、鐘楼の中、墓地の間などを荒し廻っているところを寺の爺《じいや》にでも見つかろうものなら、私たちはたちまち追い出されてしまうのだった。疳癖《かんぺき》らしかった爺の一人なんぞは、手にしていた竹箒を私たちに投げつけることさえあった。だが、そうなると一層その寺の境内や墓地を荒すことが面白いことのように思われ、私たちは爺に見つかるのを恐れながら、それでも決してその中へ侵入することを止《や》めなかった。その寺には爺が二人いた。一人は正門の横で線香や樒《しきみ》などを売っており、もう一人はよく竹箒を手にして境内や墓地の中を掃除していた。私たちは彼|等《ら》を顔色から「赤鬼」「青鬼」と呼んでいた。
 たしか秋の学期のはじまった最初の日だったと思う。学校の帰り途《みち》、五六人でその夏の思い出話などをしながら一しょに来ると、そのうちの一人が数日前に常泉寺の裏を抜ける、まだ誰も知らなかった抜け道をみつけたといって得意そうに話した。そこで私たちはすぐそのまま、一人の異議もなく、その抜け道を通ってみることにした。
 そのころ常泉寺の裏手にあたって、小さな尼寺があった。円通庵《えんつうあん》とか云った。丁度その尼寺の筋向うに、ちょっと通り抜けられそうもない路地があったが、その中へ私たちの小案内者が、ずんずん得意そうに入って行くので、私たちもさも面白いことでもするようにその汚《きたな》い路地の中へ入って行った。最初のうちは何んだかゴミゴミした汚らしい小家の台所の前などを右へ折れたり左へ折れたりしていたが、そのうち半ばこわれかかった一つの柴折戸《しおりど》のあるのを先頭のものがそっと押して中へはいって行った。と、いままで何か言いあっていたものたちが、そのとき急にばったりと話しやめた。不意に意外な場所に出たものと見える。やっと自分の番になって、その中へはいって見ると、私たちの目の前には、いまにも崩《くず》れそうな小さな溝《みぞ》を隔てて、目のあらい竹垣の向うに、まだ見たこともないような怪奇な庭が横《よこた》わっていた。そこには無気味に感じられる恰好《かっこう》の巌石がそば立ち、緑青《ろくしょう》いろをした古い池があり、その池の端には松の木ばかりが何本も煙のように這《は》いまわっていた。そしてそれが常泉寺の奥の院の庭であるのを知った時、私たちは一層驚かずにはいられなかった。……それから私たちは急にひっそりとなって、その崩れ落ちそうな溝づたいに一列にならんで歩き出したが、その道のもう一方の側はどうなっていたのか今はっきり思い出せない。そこまで来てしまうと、どっちを向いてももう殆《ほと》んどさっきの人家らしいものが目に入らなかったようだが、ことによると私たちのまわりには私たちよりも丈高《たけたか》く雑草が生《お》い茂っていたのか知れぬ。そう云えばそこいらが一面の薄《すすき》だったような気もする。
 私たちは何時《いつ》の間にかとんでもない場所へ来てしまったような不安な気持になって、お互に無言のまま、おっかなびっくりそんな場所を歩き続けて行ったが、そのうち再び驚かされたのは、そんな寺の裏なんぞの、恐らく四方から墓ばかりに取り囲まれているであろうようなところに、一軒ぽつんと小さな家が見え始めたことだった。さっきの雑草もその小家のあたりだけは綺麗に取除かれ、その代りそこら一面に、その小家を殆んど埋めるくらいにして、黄や白だのの見知らぬ花が美しく咲きみだれていた。その見なれない小家の前を私たちがこっそり通り抜けようとしたとき、その家のなかの様子は少し
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