られた。暮方になると、近くの林のなかで雉《きじ》がよく啼《な》いた。
 牡丹屋の人達は、少年の頃の明の事も、数年前故人になった彼の叔母の事も忘れずにいて、深切に世話を焼いて呉れた。もう七十を過ぎた老母、足の悪い主人、東京から嫁いだその若い細君、それから出戻りの主人の姉のおよう、――明はそんな人達の事を少年の頃から知るともなしに知っていた。殊にその姉のおようと云うのが若い頃その美しい器量を望まれて、有名な避暑地の隣りの村でも一流のMホテルへ縁づいたものの、どうしても性分から其処がいやでいやで一年位して自分から飛び出して来てしまった話なぞを聞かされていたので、明は何となくそのおように対しては前から一種の関心のようなものを抱いていた。が、そのおように今年十九になる、けれどもう七八年前から脊髄炎《せきずいえん》で床に就ききりになっている、初枝という娘のあった事なぞは此度の滞在ではじめて知ったのだった。……
 そう云う過去のある美貌の女としては、おようは今では余りに何でもない女のような構わない容子をしていた。けれどももう四十に近いのだろうに台所などでまめまめしく立ち働いている彼女の姿には、まだい
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