ないのだ……「そういう考え方はそれはそれとして肯《うなず》けるようだけれど、何もその考えのためにお前のように結婚を向きになって考えることはないと思うわ……」私はそう自分の感じたとおりのことを云った。「……もうすこし、お前、なんていったらいいか、もうすこし、そうね、暢気《のんき》になれないこと?」
 お前は顔に反射している火かげのなかで、一種の複雑な笑いのようなものを閃《ひらめ》かせながら、
「お母様は結婚なさる前にも暢気でいられた?」と突込んで来た。
「そうね……私は随分暢気な方だったんでしょう、なにしろまだ十九かそこいらだったから。……学校を出ると、うちが貧乏のため母の理想の洋行にやらせられずに、すぐお嫁にゆかせられるようになったのを大喜びしていた位でしたもの。……」
「でも、それはお父様が好いお方なことがお分かりになっていられたからではなくって?」
 お前の好いお父様の話がいかにも自然に私達の話題に上ったことが急に私をいつになくお前のまえで生き生きとさせ出した。
「本当に私にはもったいない位に好いお父様でした。私の結婚生活が最初から最後まで順調に行ったのも、私の運が好かったのだなど
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