とは一度も私に思わせず、そうなるのがさも当り前のように考えさせたのが、お父様の性格でした。ことに私がいまでもお父様に感謝しているのは、結婚したてはまだほんの小娘に過ぎなかった私を、はじめからどんな場合にでも、一個の女性としてばかりでなく、一個の人間として相手にして下すったことでした。私はそのおかげでだんだん人間としての自信がついてきました。……」
「好いお父様だったのね。……」お前までがいつになく昔を懐しがるような調子になって云った。「私は子供の時分よくお父様のところへお嫁に行きたいなあと思っていたものだわ。……」
「…………」私は思わず生き生きした微笑をしながら黙っていた。が、こういう昔話の出た際に、もうすこしお父様の生きていらしった頃のことや、お亡くなりになった後のことについてお前に云って置かなければならない事があると思った。
が、お前がそういう私の先を越して云った。こんどは何か私に突っかかるような嗄《しゃ》がれ声《ごえ》だった。
「それでは、お母様は森さんのことはどうお思いになっていらっしゃるの?」
「森さんのこと? ……」私はちょっと意外な問いに戸惑いながら、お前の方へ徐《し
前へ
次へ
全188ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング