じっとお前の方を見ていた。
「私、この頃こんな気がするわ、男でも、女でも結婚しないでいるうちはかえって何かに束縛されているような……始終、脆《もろ》い、移り易いようなもの、例えば幸福なんていう幻影《イリュウジョン》に囚《とら》われているような……そうではないのかしら? しかし結婚してしまえば、少くともそんな果敢《はか》ないものからは自由になれるような気がするわ……」
 私はすぐにはそういうお前の新しい考えについては行かれなかった。私はそれを聞きながら、お前が自分の結婚ということを当面の問題として真剣になって考えているらしいのに何よりも驚いた。その点は、私はすこし認識が足りなかった。しかし、いまお前の云ったような結婚に対する見方がお前自身の未経験な生活からひとりでに出来てきたものかどうかと云うことになるといささか懐疑的だった。――私としては、この儘こうして私の傍でお前がいらいらしながら暮らしていたら、互に気持をこじらせ合ったまま、自分で自分がどんなところへ行ってしまうか分からないと云ったような、そんな不安な思いからお前が苦しまぎれに縋《すが》りついている、成熟した他人の思想としてしか見え
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