出て来るなんて……」菜穂子は他人事《ひとごと》ながらそんな事も思った。
それから彼女は再び元の冷やかな目つきになりながら云った。「お風邪でも引いていらっしゃるんじゃない? それなのに、こんな寒い日に旅行なんぞなすってよろしいの?」
「大丈夫です。」明は何か上の空で返事をするような調子で返事をした。「ちょっと喉をやられているだけですから。雪のなかへ行けば反って好くなりそうな気がするんです。」
そのとき彼は心の一方でこんな事を考えていた。――「おれは菜穂子さんに逢って見たいなんぞとはこれまでついぞ考えもしなかったのに、何故さっき汽車のなかで思い立つと、すぐその気になって、何年も逢わない菜穂子さんをこんなところに訪れるような真似が出来たんだろう。おれは菜穂子さんがいまどんな風にしているか、すっかり昔と変ってしまったか、それともまだ変らないでいるか、そんな事なぞちっとも知りたかあなかった。只、ほんの一瞬間、昔のようにお互に怒ったような眼つきで眼を見合わせて、それだけで帰るつもりだった。それだのに、此の人に逢っていると又昔のように、向うですげなくすればするほど、自分の痕《きず》を相手にぎゅう
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