をかぎながら、何も云わず云われずに慰められたいような気持ちのする事もないではなかった。
「なんだか夜中などに目をさますと、空気が湿々《じめじめ》していて、心もちが悪くなります。」山の乾燥した空気に馴れ切ったおようは、この滞京中、そんな愚痴を云っても分かって貰えるのは明にだけらしかった。おようは何処までも生粋の山国の女だった。O村で見ると、こんな山の中には珍らしい、容貌の整った、気性のきびしい女に見えるおようも、こう云う東京では、病院から一歩も出ないでいてさえ、何か周囲の事物としっくりしない、いかにも鄙《ひな》びた女に見えた。
過去のおおい、その癖まだ娘のようなおもかげを何処かに残しているおようと、長患いのために年頃になってもまだ子供から抜け切れない一人娘の初枝と、――その二人は明にはいつの間にかどっちをどっち切り離しても考える事の出来ない存在となっていた。病院から帰る時、いつも玄関まで見送られる途中、彼ははっきりと自分の背中におようの来るのを感じながら、ふと自分が此の母子と運命を共にでもするようになったら、とそんな全然有り得なくもなさそうな人生の場面を胸のうちに描いたりした。
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