を物陰で聞いていたきりだったので、この娘の眼がこんなに娘らしい赫《かがや》きを示そうとは思っても見なかった。――明は突然、この初枝が彼の恋人の早苗と幼馴染であったと云う話を思い浮べた。早苗はこの秋の初めに、彼とも顔馴染の、村で人気者の若い巡査のところへ嫁いだ筈だった。
 それから明は殆ど二三日|隔《お》き位に、事務所の帰りなどに彼女達を見舞って行くようになった。いつも秋らしい夕方の光が彼女達の病室へ一ぱい差し込んでいるような日が多かった。そんな穏かな日差しの中で、おようと初枝とがいかにも何気ない会話や動作をとりかわしているのを、明は傍で見たり聞いたりしているうちに、其処から突然O村の特有な匂のようなものが漂って来るような気がしたりした。彼はそれを貪《むさぼ》るように嗅《か》いだ。そんなとき、彼には自分が一人の村の娘に空しく求めていたものを図らずも此の母と娘の中に見出しかけているような気さえされるのだった。おようは明と早苗の事はうすうす気づいているらしかったが、ちっともそれを匂わせようとしない事も明には好ましかった。が、それだけ、ときどき此の年上の女の温かい胸に顔を埋めて、思う存分村の匂
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