るようになると電話で呼ばれて来る事を話した。
 圭介は突然胸さわぎがして、「女の患者ですか?」とだしぬけに訊いた。
「いいえ、こんど初めて喀血をなすったお若い男の方のようです。」相手は何んの事もなさそうに返事をした。
 自動車は吹き降りの中を、街道に沿った穢《きたな》い家々へ水溜《みずたま》りの水を何度もはねかえしながら、小さな村を通り過ぎ、それから或傾斜地に立った療養所の方へ攀《よ》じのぼり出した。急にエンジンの音を高めたり、車台を傾《かし》がせたりして、圭介をまだ何んとなく不安にさせた儘……

 療養所に著《つ》くと、丁度患者達の安静時間中らしく、玄関先には誰の姿も見えないので、圭介は濡れた靴をぬぎ、一人でスリッパアを突っかけて、構わず廊下へ上がり、ここいらだったろうと思った病棟に折れて行ったが、漸《や》っと間違えに気がついて引き返して来た。途中の、或病室の扉が半開きになっていた。通りすがりに、何の気なしに中を覗いて見ると、つい鼻先きの寝台の上に、若い男の、薄い顎髭《あごひげ》を生やした、蝋《ろう》のような顔が仰向いているのがちらりと見えた。向うでも扉の外に立っている圭介の姿に気が
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