知れないと云うような漠然とした不安に戦《おのの》きながら、信州の南に向ったのは、丁度二百廿日前の荒れ模様の日だった。ときどき風が烈しくなって、汽車の窓硝子《まどガラス》には大粒の雨が音を立てて当った。そんな烈しい吹き降りの中にも、汽車は国境に近い山地にかかると、何度も切り換えのために後戻りしはじめた。その度毎に、外の景色の殆ど見えないほど雨に曇った窓の内で、旅に慣れない圭介は、何だか自分が全く未知の方向へ連れて行かれるような思いがした。
汽車が山間らしい外の駅と少しも変らない小さな駅に著《つ》いた後、危く発車しようとする間際になって、それが療養所のある駅であるのに気づいて、圭介は慌てて吹き降りの中にびしょ濡れになりながら飛び下りた。
駅の前には雨に打たれた古ぼけた自動車が一台|駐《とま》っていたきりだつた。圭介の外にも、若い女の客が一人いたが、同じ療養所へ行くので、二人は一しょに乗って行く事にした。
「急に悪くなられた方があって、いそいで居りますので……」そうその若い女の方で云《い》い訣《わけ》がましく云った。その若い女は隣県のK市の看護婦で、療養所の患者が喀血などして急に附添が入
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