《つい》に完全に赤線(三十七度)以下になった。だが、彼の身体はまだ何処となく不安定だった。そしてひっきりなしに身体のあちらこちらに、丁度大地震のあとに起る無数の小さな余震のように、或《あるい》は頭痛が、或は神経痛が、或は歯痛が次ぎ次ぎに起った。彼はそれらの余震になおも怯《おびや》かされながら、しかし次第に、露台のまわりでうるさいくらい囀《さえず》りだした小鳥たちの口真似《くちまね》をしてみたり、裏の山から腕いっぱい花を抱《かか》えて帰ってくる看護婦に分けて貰《もら》って薬罎《くすりびん》にさした竜胆《りんどう》や鈴蘭《すずらん》などの小さな花の香《かお》りをかぎながら、彼は生き生きとした呼吸をし出した。
或る日から彼も日光浴をすることになった。
彼は看護婦から紫外線|除《よ》けの黒眼鏡を受取ると、それをすぐに掛けながら子供のようにいそいそと露台に出て行った。そして彼は初夏の太陽をまぶしそうに見上げながら、それに向って話しかけでもするように独語するのであった。
「おお、太陽よ、おれも昨日までは苦痛を通して死ばかり見つめていたけれども、今日からはひとつこの黒眼鏡を通してお前ばかり見つめ
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