れたのは、田端のおばさん、すなわち私の母のいもうとの一人で、震災まえまでは私たちのうちのすぐ隣りに住みついていたおばさんである。――
実は父の百カ日のすんだ折、寺でそのおばからちょっとお前の耳にだけ入れておきたいことがあるから、そのうちひとりのときに寄っておくれな、といわれていた。
まだ逗子に蟄居《ちっきょ》していた時分で、それに何かと病気がちの折だったので、私はおばにいわれていた事がときどき気になりながらも、なかなかひとりで東京に出て往《い》けなかった。が、そのうち何処《どこ》からか、去年の暮れごろから目を患《わずら》っていたおじさんが急に失明しかけているというような噂《うわさ》を耳にして、私はこれは早く往ってあげなければと思い、或《ある》日丁度自分の実家に用事があって往くことになっていた妻と連れだって東京に出て、私だけ手みやげを持って、震災後ずっと田端の坂の下の小家におじとおばと二人きりで佗住《わびずま》いをしている方へまわった。それはもう六月になっていた。
おじさんのうちでは、もうすっかり障子があけ放してあって、八つ手などがほんの申訣《もうしわ》けのように植わっている三坪ば
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