くそういうものへの試みの一つとしてやれるだけのことはやってみようと考えたのだった。
「幼年時代」はそうして書きはじめたものなのである。
 夏が過ぎ、秋になっても、私たちはまだ山で暮らしていた。冬が近づいて来る頃になって、私たちは慌てて山を引きあげ、逗子《ずし》にある或友人の小さな別荘にしばらく落ちつくことになった。そんな仮住みから仮住みへと、私は他の仕事と一しょにいつも「幼年時代」を持ち歩いていた。
 父のほうは、秋になってよくなり出すと、ずんずん快くなった。小春|日和《びより》の日などには、看護の人に手をひいて貰《もら》って、吾妻橋《あずまばし》まで歩いていったという便《たよ》りなどが来た。それほど快くなりかけていた父が、二度目の発作を起したのは十二月のなかばだった。電報をみて、私たちが逗子から駈《か》けつけてきたときはもう夜中だった。父は深く昏睡したまま、まだ息はあったけれど、今度は私たちもあきらめなければならなかった。……

        三

 父の死後、私ははじめて自分の実父がほかにあって、まだ私の小さいときに亡《な》くなったのだということを聞かされた。それを私に聞かせてく
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