は、信州の山んなかだった。
そこで十日ばかりが、なんということもなしに、過ぎた。何もかもこれから、――といったすっきりした気もちだった。
と、或《ある》あけがた、私たちはまだ寝ているうちに電報をうけとった。父の危篤を知らせて来たものだった。何んの前ぶれもなかったので、私たちは慌《あわ》てて支度《したく》をし、そのまま山の家を鎖《とざ》して、上京した。
正午ちかく向島のうちに着いてみると、そのあけがた脳溢血で倒れたきり、父はずっと昏睡《こんすい》したままで、私たちの帰ったのをも知らなかった。そういう昏睡状態はまだ二三日つづいていた。
そのあいだに、私たちはいろいろな人たちの見舞をうけた。父方の、四つ木や立石《たていし》の親戚《しんせき》の人々もきた。私の小さい時からうちの弟子《でし》だったもの、下職だったものたちも入れかわり立ちかわり来た。それから母方の、田端《たばた》のおばさんたちも来た。いとこたちも来た。それからまだ麻布のおばさん――私が跡目をついでいる堀家のほうのたった一人の身うち――までも来てくれた。
私はまだ自分が結婚したことをそういう人たちには誰れにも知らせていなか
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