ら。――そう、そう、そう云えば、たしか、そのときの往きか帰りの電車の中だったとおもう。小さな私は往きのときも、帰りのときも、その道中があんまり長いので、いつも電車の中でひとっきり睡《ねむ》ってしまっていたが、突然母にゆりおこされた。
「辰雄、辰雄、ほら、あの横町をごらん、あそこにお前の生れた家があったんだよ。……」
 そういわれて、私は睡たい目をこすりこすりあけてみた。そうして母が電車の窓から私に指《さ》して見せている横町の方へいそいでその目をやった。が、電車はもうその横町をあとにして、お屋敷の多い、並木のある道を走っていた。私はなんだかそれだけではあんまり物足らなかったが、それ以上何もきかないで、そのまま又そのお母さんにもたれながらうつらうつら睡ってしまった。……
 いま思うと私の生れたのは麹町平河町だというから、あれはきっと三宅坂《みやけざか》と赤坂見附との間ぐらいの見当になるだろう。そうとすると、私の生父の墓は青山か千駄ヶ谷あたりにあるのだろう。誰れにきいたらいいかしらと思って、私はふと麻布で茶の湯の師匠をしていたおばさんがもうかなりのお年でまだ存命していられるらしいのを思い出し
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