に心中とまちがわれ、橋の上で人々が大騒ぎをしている間、こっそりと川上に泳ぎついて逃げ去ったという逸話などを残している位である。その頃のことかと思うが、松吉はそういう仲間たちと一しょに瓦町《かわらまち》の若い小唄の師匠のところにひやかし半分|稽古《けいこ》にかよっていたが、そのうちに松吉はその若い小唄の師匠といい仲になった。
松吉はとうとうそのおようという若い師匠と、向島の片ほとりに家をもった。そして二三年|同棲《どうせい》しているうちに、一子を設けたが夭折《ようせつ》させた。請地にある上条氏の墓のかたわらに、一基の小さな墓石がある。それがその薄倖《はっこう》な小児の墓なのであった。
松吉もはじめのうちは、為事《しごと》にも身を入れ、由次郎という内弟子《うちでし》もおいて、自分で横浜のお得意先きなども始終まわっていたが、子を失《な》くしてから、又酒にばかり親しむようになって、つい家もあけがちになった。
弟子の由次郎は、そのあいだにも、ひとりで骨身を惜しまずに働いていた。松吉も、その由次郎に目をかけ、殆《ほと》んど細工場のほうのことは任せ切りにしていた。ところが、或る夜、泥酔してかえ
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