すらと覚えている。
母のいもうとの中には、茶屋奉公に出ていたものもいる。芸者になって、きん朝さんという落語家に嫁いだものもいる。それから一番末の弟はとうとう自分から好きで落語家になってしまった。しかし、それらの人達はみんな早世してしまって、いまは亡い。……
私はそういう母の一家の消長のなかに、江戸の古い町家のあわれな末路の一つを見いだし、何か自分の生い立ちにも一抹《いちまつ》の云いしれず暗い翳《かげ》のかかっているのを感ずるが、しかしそれはそれだけのことである、――もしそういうものが私の心をすこしでも傷《いた》ましむるとすれば、それは私の母をなつかしむ情の一つのあらわれに過ぎないであろう。
六
土手下で小さな煙草店をやっていた私の母が、その店を廃《や》めて、小梅の父のところに片づいたのは、私が四つか五つのときだったらしい。私ははじめのうちはその新しい父のことを、「お父うちゃん」とお云いといくら云われても、いつも「ベルのおじちゃん」と呼んでいた。そうして町なかにある仁丹の看板をみつけては一人でそれを指《さ》して「お父うちゃん」と言ってばかりいるので、母たちも随分
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