は迂回《うかい》をしなければならぬかとためらっていると、それをどこかの大名の行列かとまちがえて、喧嘩をしていた鳶《とび》の者たちが急にさあっと途《みち》を開いたので、そのままその前を通ってゆくことが出来た。――そのことを又、皆はたいへん縁起がいいといって喜んだものだった。
 だが、新郎新婦の運命はそれほどしあわせなものではなかった。やがて瓦解《がかい》になった。それはたちまち若い夫婦に決定的な打撃を与えた。諸侯に貸し付けてあった金子も当分は取り立てる見込みもつかず、そこで米次郎は窮余の一策として、麻布の飯倉片町に居を移して、大黒屋という刀屋をひらいた。それがうまく当って、一時は店も繁昌《はんじょう》した。私の母しげが長女として生れたのはその飯倉であった。
 しかし、その母の生れた明治六年は、また、廃刀令の出た年である。米次郎は再び窮地に立った。丁度そのとき質屋の株を売ろうとするものがあったので、よほど米次郎の心はそちらのほうに動いたが、それには玉がどこまでも反対した。質屋という商売を嫌《きら》ったのである。そこで米次郎もやむを得ずに芝の烏森《からすもり》に移って、小さな骨董《こっとう》
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