で、自分の幼年時代を好きなように形づくって、それを愉《たの》しんでいることが出来たのだった。

        五

 おばさんはまた私に母の実家のことを仔細《しさい》に話してくれた。しかし、そのときも私の期待を裏切って、母の若い頃のことは殆んどなんにも話して貰《もら》えなかった。そのうち、何かの折にでも自然に聞き出せるかも知れないから、いまはまあそう無理には聞かないことにする。……
 母の実家は西村氏である。父は米次郎といった人で、維新前までは、霊岸島に店を構えて、諸大名がたのお金|御用達《ごようたし》を勤めていた。市人《いちびと》でも、苗字《みょうじ》帯刀を許されていたほどの家がらだったそうである。母は茅野《ちの》氏で、玉《たま》といい、これも神田の古い大きな箪笥《たんす》屋の娘であった。玉は十六の年から本郷の加賀さまの奥へ仕えていた。そうして十九のときに米次郎のところに嫁《とつ》いだが、そのときの婚礼はまだ随分はでなものだったらしい。いくつも高張提灯《たかはりぢょうちん》をかかげて、花嫁の一行が神田から霊岸島をさして練ってゆくと、丁度途中にめ組の喧嘩《けんか》があった。そこで一行
前へ 次へ
全41ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング