らに数年が経った。私の母は地震のために死んだ。その写真も共に失われた。――そういう今となって、不思議なことには、漸《ようや》くその二つのものが私の心の中で一つに溶け合いだしている。そしてどういうものか、よく見なれた晩年の母の俤《おもかげ》よりも、その写真の中の見なれない若い母の俤の方が、私にはずっと懐《なつか》しい。私はこの頃では、子供のときその写真の人がどうしても私の母だと信じられなかったのは、その人を自分の母と信ずるにはその人があまりに美し過ぎたからではなかったかと解している。その人がただ美しいと云うばかりでなしに、その容姿に何処《どこ》ということなく妙になまめいた媚態《びたい》のあったのを子供心に私は感づいていて、その人を自分の母だと思うことが何んとなく気恥しかったのであろう。そう云えば、その写真のなかで母のつけていた服装は、決して人妻らしいものでもなければ、また素人娘《しろうとむすめ》のそれでもなかったようだ。今の私には、それがどうもその頃の芸者の服装だったようにも思われる。そんな事からして私はこの頃では私の母は父のところへ嫁入る前は芸者をしていたのではないかと一人でひそかに空想をしているのである。――私の母の実家が随分貧しかったらしいことや、私の母の妹とか、弟とか云う人達が大抵|寄席《よせ》芸人だの茶屋奉公だのをしていたことや、私の父が昔は相当道楽者だったらしいことなどを考え合せてみれば、そんな私の空想が全然根も葉もないものであるとは断言できないだろう。
 私はしかし芸者と云うものを今でも殆《ほと》んど知っていないと言っていい。ただ少年の頃から鏡花などの小説を愛読しているし、そういう小説の女主人公などに一種の淡い愛着のようなものさえ感じているところから、或はそんなことが私をしてかかる夢を私の亡《な》き母にまで托《たく》させているのかも知れぬ。

        ※[#アステリズム、1−12−94]

 私は一枚の母の若いころの写真からそんな小説的空想さえもほしいままにしながら、しかしそれ以上に突込んで、そういう母の若いころのことや、自分自身の生《お》い立ちなどについて、人に訊《き》いてまでも、それを強《し》いて知ろうとはしなかった。私は小さいときからの性分で、ひとりでに自分に分かって来ていることだけでもって十分に満足して、その自分の知っている範囲のなかだけ
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