て何か書いてくれと乞《こ》われるままに、ふとその古い写真のことを思いついて、小さな随筆を一つ書いたことがある。ほんの素描のようなものに過ぎないが、ひと頃の私の母に対する心もちがよく出ていると思うので、此処《ここ》にそれを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 《はさ》んでおきたいと思う。

        ※[#アステリズム、1−12−94]

     花を持てる女

 私がまだ子供の時である。
 私はよく手文庫の中から私の家族の写真を取り出しては、これはお父さんの、これはお母さんの、これは押上《おしあげ》の伯父さんのなどと、皆の前で一つずつ得意そうに説明をする。そのうち私はいつも一人の見知らぬ若い女の人の写真を手にしてすっかり当惑してしまう。
 いくらそれはお前のお母さんの若い時分の写真だよと云われても、私にはどうしてもそれが信じられない。だって私のお母さんはあんなによく肥えているのに、この写真の人はこんなに痩《や》せていて、それにこの人の方が私のお母さんよりずっと綺麗《きれい》だもの……と、私は不審そうにその写真と私の母とを見くらべる。
 其処《そこ》には、その見知らぬ女の人が生花をしているところが撮《と》られてある。花瓶《かびん》を膝《ひざ》近く置いて、梅の花かなんか手にしている。私はその女の人が大へん好きだった。私の母などよりもっと余計に。――
 それから数年|経《た》った。私にもだんだん物事が分かるようになって来た。私の母は前よりも一そう肥えられた。それは一つは、私をどうかして中学の入学試験に合格させたいと、浅草の観音《かんのん》さまへ願掛けをされて、平生|嗜《たしな》まれていた酒と煙草を断たれたためでもあった。そして私の母は、それ等《ら》の代りに急に思い立たれて生花を習われ出した。私はときおり、そういう生花を習われている母の姿を見かけるようになった。そんな事から私はまたひょっくり、何時《いつ》の間にか忘れるともなく忘れていた例の花を持った女の人の写真のことを思い出した。その写真は私の心の中にそっくり元のままみずみずしい美しさで残っていた。私はその頃は頭ではそれが私の母の若い時分の写真であることを充分に認めることは出来ても、まだ心の底ではどうしてもその写真の人と私の母とを一緒にしたくないような気がしていた。
 それから更
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