はそれ故一言も云はずにその場を通り過ぎた。一瞬間がたつた。マルセルが私を呼んだ。私は振り向いた。彼は私の方に走つてきた。彼はやつと私に追ひつき、私が怒つてやしないかと私に訊いた。私は笑ひながら、怒つてゐないことを確めた。それから私達は一時中絶してゐたさつきの會話を再び續けた。私はその薔薇のエピソオドについては何も質問をしなかつた。私はそのことで冗談も言はなかつた。私はそんなことをすべきでないのを漠然と感じてゐたから……
[#ここで字下げ終わり]

          ※[#アステリズム、1−12−94]

 若しも私たちが次のやうな言葉を絶えず思ひ出さなかつたならば、何物をも理解し得ないだらう。「私はそこにぢつと立止まつてゐた、動かずに、見つめつつ、呼吸しつつ、形象《イマアジュ》と匂の彼方に私の思考とともに行かうとしながら……」――若しも私たちが絶えず、この追求し、欲望する精神を感じてゐなかつたならば……
        ―――――――――――――――
 リヴィエェルはざつとこんな工合に論じながら、更にプルウストのかういふ寧ろ形而上的《メタフィジック》な傾向がいかにしてもつと實證的《ポジティフ》な傾向に轉換して行つたか、そしてそれがあらゆるクラシックに共通するところの人間的要素をどんな風に彼の作品に與へてゐるか、と云ふことにまで説き及ぼしてゐる。――そこまで抄すべきであらうが、僕はもうだいぶ疲れてゐる。ここいらで不本意ながらペンを置く。が、もつと不本意なことはこれでもつて當分プルウストに關する手紙を打ち切らなくてはならなくなつたことだ。何故なら、僕は九月號に小説を一つ引き受けてしまつたからだ。しかし小説を書き上げてしまつたら、輕井澤にでも行つて、ゆつくりプルウストでも讀んでやらうと思ふ。さうしたら、その時またこの手紙を續けよう。



底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:一「新潮」
   1932(昭和7)年8月号
   二「椎の木」
   1932(昭和7)年8月号
   三「作品」
   1932(昭和7)年8月号
初収雑誌:「文学」厚生閣書店
   1932(昭和7)年9月18日
※「一」の初出時の表題は「プルウスト雑記(神西清への手紙)」、「二」の初出時の表題は「プルウスト雑記〈神西清への手紙より〉」、「三」の初出時の表題は「プルウスト雑記(神西清への手紙より)」
※初収雑誌時に加筆訂正、表題は「マルセル・プルウスト――神西清への手紙」、「曠野」養徳社(1944(昭和19)年9月20日)収録時「三つの手紙――神西清に」と改題、「堀辰雄作品集第一・聖家族」角川書店(1949(昭和24)年3月5日)収録時「プルウスト雑記――神西清に」と改題
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2008年1月20日作成
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