過ぎないのだ。僕はちよつと欺されてゐたやうな氣がした。「これは僕がずつと前に讀んだことのあるゲルマント夫人の顏[#「ゲルマント夫人の顏」に傍点]ぢやない。」――だが、僕はその一節をすつかり讀み畢へてその本を開ぢながら、もう一度その夫人の顏を宙に浮べて見た。すると、どうだらう。今度は、その高い鼻、碧い眼、赤らんだ頬がまだ僕の眼前に髣髴してゐるにもかかはらず、その夫人の顏はだんだん前に増して美しく思はれ出したのだ。「さう、やつぱり僕の知つてゐたゲルマント夫人だつたんだ!」――さうひとりごちながら、ははあ、こんなところにも、プルウストの作中人物を解く二つの鍵があるのかも知れぬと思つた。
 シャルル・デュ・ボスが、オペラの棧敷の中で捕まへてゐるのも、さういふゲルマント公爵夫人の感嘆すべき肖像畫の一つだ。

[#ここから1字下げ]
 彼女(ゲルマント公爵夫人)を、薄あかりを浴びて物語めいてゐる他の娘たちよりも、ずつと上位に置いてゐるその美しさといふものは、彼女の頸や、肩や、腕や、胴などの上に、はつきりと、誰にもすぐ分るやうに、見えはしなかつた。そしてさういふ、彼女の微妙な、未完成な線は、われわれの目がそれを引き延ばさずには居られない、見え難い、不思議な線の正確な出發點であり、暗闇の中のスクリインの上に完全な姿となつて投影されてゐるスペクトルのやうな、その婦人のまはりでぴちぴち跳つてゐる線のおのづからなる塊りであつた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]「ゲルマントの方」※[#ローマ数字1、1−13−21]

 さういふ、われわれの目がそれから現實的《レアル》な線を引き延ばさずにはゐられないやうな、不思議な、見え難い線、そこにこそ、プルウストの目のみならず、彼の精神が絶えず追究してゐたところの實驗があるのだ、とシャルル・デュ・ボスは説いてゐるのである。

          ※[#アステリズム、1−12−94]

 なんだかすこし尻切蜻蛉のやうだが、ここいらで一度ペンを置く。が、僕は君にもつともつとしやべりたいことがあるのだ。僕はプルウストに關する著書が後から後からと出るのに驚いてゐたものだが、この調子なら僕にもそのうち一册の書物位は書けさうな氣がする。が、今日はもうへとへとに疲れた。當分僕のプルウスト熱はさめさうもないから、どうぞ次の僕の手紙を待つてゐて呉れたまへ。左樣なら。

          二

[#地から2字上げ]七月十日
 この間僕は本郷の古本屋でルノアァルの素ばらしい畫集を見つけた。そしてどうしてもそれが欲しくてたまらなくなつて、昨日、とうとうそれを買つてきた。
 僕の買つた畫集は一九一三年、巴里の Bernheim−Jeune 刊行のものだ。六百部の限定版。金が無かつたので、僕は仕方なしにそれまで大事にしてゐたデュフィとモディリアニの畫集を賣つてやつとそれを手に入れた。
 それほど僕はこのルノアァルの畫集が欲しかつたのだ。またしても、ここにプルウストの影響があるらしい。
 それは丁度、僕が昔コクトオに熱中してゐるうちにいつかピカソやキリコの繪を愛し出したのによく似てゐる。僕はこの頃プルウストのおかげですこし頭が古くなつたのか、どうやら印象派の畫家たち――ことにマネエやルノアァルやクロオド・モネエの繪が非常に好きになつて來たやうだ。マネエなんかも好い畫集があつたら何とでもして買て來るだらう。ところで、こんな工合に僕がコクトオを通してピカソやキリコの繪に興味を持つたり、プルウストの影響でルノアァル等が好きになつたりするといふことは、それを裏がへしにして考へて見ると、コクトオはピカソやキリコ等の畫家に、そしてプルウストは印象派の畫家たちに多くのものを負うてゐるやうなことになりはしないだらうか?
 僕は何處でもいいからプルウストの一頁を開けて見よう。例へばここに、かういふ一節がある。

[#ここから1字下げ]
 私はエルスティルの水彩畫の中でこれらのものを見てからといふもの、私はこれらのものを現實の中に再び見出したく思ひもしたし、又、何か詩的なものとしてこれらのものを愛するやうにもなつたのである。……まだ横に置かれてあるナイフのでこぼこな面《おもて》、日光がその上に黄いろい天鵞絨を張りつけてゐる放り出されたナフキンのふくらんだ突起、その形の氣高い圓味をかくも美しく見せてゐる半分|空虚《から》になつたコップ(その厚いガラスの底の透明なことはまるで日光を凍らしでもしたやうだ)薄暗いなりに照明《あかり》できらきらしてゐる葡萄酒の殘り、固體の移動、照明のための液體の變化、半分減つた果物皿の中で緑から青へ、それからまた青から金へと移る李《すもも》の變化、卓の上に擴げられた布のまはりに日に二囘は坐りにやつてくる年老いた椅子たち、(その卓の上では牡蠣の貝殼のなかに、小さな石の聖水盤のなかにのやうに、數滴の水が殘つてゐる)――かういふ今まではこんなものの中に美があるとは思ひもしなかつたやうな、もつとも日常的な事物のなかに、「靜物」の深味のある生のなかに、私は美を發見しようと試みるのであつた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]「花さける少女の影に」※[#ローマ数字2、1−13−22]

 印象派の、まるでクロオド・モネエか何ぞの繪でも見てゐるやうな感じがしないか。――僕はプルウストをベルグソンやフロイドに結びつけて考へようとする人達をよく見かけるが、僕にはプルウストは、さういふ哲學者や心理學者たちよりもずつと深い暗示を、これら印象派の畫家たちから得てゐるやうに思はれるのだ。

          ※[#アステリズム、1−12−94]

 しかし、さういふのは僕がベルグソンやフロイドの著書をあまり讀んだことがないからかも知れない。もつとベルグソンやフロイドを讀んだら(そしてそれを讀みたいと思ふ欲望はこの頃しきりに起るのだけれど)、さういふ議論もうなづけるかも知れない。フロイドの方は知らなかつたらしいが、プルウストは若い時分にベルグソンをかなり熱心に讀んでゐたやうである。そして自分でも、この前の手紙に引用したルタン紙のインタアヴィユの中で、自分の小説を「ベルグソニスムの小説」と呼んでも恥しくないと言明してゐる。唯、それにかういふ訂正をつけ加へてゐる。「しかし、それは正確とは云へない。何故なら、自分の作品は無意的記憶(〔la me'moire involontaire〕)と有意的記憶(〔la me'moire volontaire〕)との差別によつて支配されてゐるのだから。この差別はベルグソン氏の哲學に現はれなかつたのみならず、むしろそれと矛盾さへしてゐるのだ。」
 僕はベルグソンをよく知らないので、さういふプルウストの意向を充分に理解することは出來ない。だからそれに對する批評は控へよう。そして此處はただ、プルウストの謂ふところの「無意的記憶」なるものにちよつと觸れて見よう。プルウストはそれを自分でかう説明してゐるのである。
「私には、有意的記憶――それは就中理智の記憶だが――なるものは、過去の眞實ならざる面をしか與へてくれないやうに思へる。が、昔とはまつたく異つた環境の下で、ふと思ひ出された或る匂とか、或る味とかが、思ひがけずわれわれに過去を喚び起すときは、われわれはさういふ過去が、われわれの有意的記憶が下手な畫家のやうに眞實ならざる色彩をもつて描いた過去とは、如何に相違してゐるかを理解する。諸君はすでにこの最初の卷「スワン家の方」において、話者がこんな話をするのを御覽になる筈だ、――「私」(この私ではない)が突然、マドレエヌの一片の落してあるお茶の一口の味の中に、忘れてゐた多くの年月、庭園、人々を思ひ出すといふ話を。勿論、彼はそれを有意的に思ひ出すことも出來ただらうが、その場合にはそれ獨得の色彩もなければ魅力もないのだ。そして作者が彼をして云はしめ得たのは、薄い紙片を茶碗のなかに浸すとすぐにそれが水中に擴がり、形をとり、花に變ずる、あの日本の小さな遊戲でのやうに、さまざまな人物、庭園のすべての花、ヴィヴォンヌ河の睡蓮、村の善良な人々や彼等の小さな家々、教會、コンブレエとその近郊、それらすべてのものが、はつきりした形をとりながら、その茶碗の中から町となり庭となつて現はれたといふことだ。」
 ベルグソンがかういふ「記憶」の問題をどう取扱つてゐるかと云ふことを知れば一層興味がありさうに思へるが、僕は殘念ながらこの問題に今は立入れない。しかし、ベルグソンと云へば、僕は、數年前澄江堂の藏書を整理してゐるうちに、ふとベルグソンの「形而上學序説」の英譯本の餘白に見出した數行の書入れを思ひ出す。なんでもベルグソンの哲學は「美しい透明な建築を見るやうな感じだ」と云ふやうな意味が記されてあつたやうに記憶してゐる。そして僕は長いことこの芥川さんの言葉を忘れてゐたのであるが、最近プルウストを讀み出してゐるうちにひよつくりそれを思ひ出した。さういふ全體の感じなどに、或は、プルウストとベルグソンとは何處となく一味相通じたところもあるのかも知れない。
 ある日、僕はもう一度その書入れを見たいと思つて、澄江堂に出かけて行つた。しかし書棚をいくら探して見てもその本はとうとう見つからなかつた。が、その代りに僕はサミュエル・バトラアの「Unconscious Memory」といふ本を見つけた。ちよつと手にとつて見ると、ハルトマンの無意識哲學などを論じたものらしかつた。僕はいまバトラアまで讀んで見る氣はしないので、一目見たきりで再びその本を元のところに入れて置いた。ベルグソンの本を探しに行つてそれが見つからずに、バトラアを頭に入れて歸つてきたのはすこし妙な氣持であつた。僕は家へ歸つてからも、なんだかそれが氣になるので、手許にあつたバトラアの「ノオト・ブック」を開いて見てゐるうちに、僕は圖らずも興味深い數頁を發見した。その中でも一番面白いと思つたのは、彼の友人がある日生爪を剥がして突然子供の時分にそれと同じ經驗をした時のことをそれからそれへと思ひ出す話を書いた「剥がした爪」といふ一章である。これを引用するとすこし長くなりさうなので、ここには省略するが、例へば次のやうな簡單な話でもいい。

[#ここから1字下げ]
 ある朝、私は「サウル」の中の[#ここから横組み]“On Sweetest Harmony”[#ここで横組み終わり]の曲を口ずさんでゐた。ジョンがそれを聞いて私に言つた。「君は何故その曲を口ずさんでゐるのか知つてゐるかい?」
 私は知らないと答へた。すると彼は言つた。
「二分ばかり前、僕が[#ここから横組み]“Eagles were not so swift”[#ここで横組み終わり]を口ずさんでゐるのを君は聞きはしなかつたか?」
 私はどうもその覺えがないし、それに私がその合唱を自分でやつたのはよほど昔のことだつたから、私がそれを意識的に認めてゐたとは考へられないが私がそれを無意識的に認めてゐたことは、私がそれの次にくる[#ここから横組み]“On Sweetest Harmony”[#ここで横組み終わり]を口ずさんでゐたことからして明瞭である。
[#ここで字下げ終わり]

 バトラアは、かういふ「無意識的なるもの」が我々の生の根元になつてゐることをハルトマンと共に言ひたいのであらう。――少し道草を食つてしまつたが、プルウストを論じてバトラアにまで及んだ者は、遺憾ながら、僕が最初の男ではない。バトラアの「ノオト・ブック」の中でそんな發見をして僕は少し得意になつてゐたら、シャルル・デュ・ボスが既にそのプルウスト論の中で、この二人を此較しつつ論じてゐたのであつた。そしてこの分析好きの批評家は、其處でプルウストとバトラアとを同系統の分析家として取扱つてゐるのである。しかし「The Way of All Flesh[#「The Way of All Flesh」は斜体]」の作者はともかくも、プルウストをそのやうな分析家として解釋するのは、ちよつと僕に
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