よつてゐた。そしてそのため部屋中に煤煙のにほひがこびりついてゐた。まるで、田舍によくある大きな竈口とか、古い館の煖爐の枠などのやうに。(さう云つたものの下では、人々は冬籠りの面白さを増さすために、戸外に、雪でも、雨でも、はたまた大洪水のやうな災害でもいいから起ることを願ふものだが……)私は祈祷臺と、いつもホックでカバアをとめた、凹んだ天鵞絨の肱かけ椅子との間を行つたり來たりしてゐた。その間、火はあの食慾をそそるやうな香り(それでもつて部屋の空氣はすつかり凝固してゐたが、やうやく朝のしつとりした、活氣のある新鮮さがそれを搖り動かし、「立ち昇らせ」てゐた)をパイのやうに燒きながら、それらの香りを薄く剥ぎ、金色にし、皺をよらせ、ふくらませてゐた。目には見えないが手で觸れられなくもない田舍菓子、あの大きな饅頭のやうなものにそれを仕上げながら。そんななかで、私は戸棚だの、箪笥だの、壁紙だのの、もつとしやりしやりした、もつと微妙な、もつと好評な、しかしもつともつと乾燥した匂ひを嗅ぐや否や、私はいつも人知れぬ烈しい欲望をもつて、あの花模樣のある寢臺掛の、何とも云ひやうのなく汚れた、にぶい、不消化な、
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