(その卓の上では牡蠣の貝殼のなかに、小さな石の聖水盤のなかにのやうに、數滴の水が殘つてゐる)――かういふ今まではこんなものの中に美があるとは思ひもしなかつたやうな、もつとも日常的な事物のなかに、「靜物」の深味のある生のなかに、私は美を發見しようと試みるのであつた。
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[#地から2字上げ]「花さける少女の影に」※[#ローマ数字2、1−13−22]
印象派の、まるでクロオド・モネエか何ぞの繪でも見てゐるやうな感じがしないか。――僕はプルウストをベルグソンやフロイドに結びつけて考へようとする人達をよく見かけるが、僕にはプルウストは、さういふ哲學者や心理學者たちよりもずつと深い暗示を、これら印象派の畫家たちから得てゐるやうに思はれるのだ。
※[#アステリズム、1−12−94]
しかし、さういふのは僕がベルグソンやフロイドの著書をあまり讀んだことがないからかも知れない。もつとベルグソンやフロイドを讀んだら(そしてそれを讀みたいと思ふ欲望はこの頃しきりに起るのだけれど)、さういふ議論もうなづけるかも知れない。フロイドの方は知らなかつたらしいが、
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