ワすが、かういふ文章のリズムは全然解りつこないと斷言してもいいかと思ひます。
私は冒頭に、どんな風にでも構はずに表現してしまふのが散文の本質だと述べ、只今は、さういふプルウストの文體の微妙な味にまでも迫らうとしました。しかし、さういふ文體の微妙な味といふものは、作家がどんなに無頓着に書かうと、おのづからそのうちに具はつてしまふものでありますので、一層それが微妙なものであることを御注意申し上げたいと思ひます。
プルウストの文體は、注意深く見てみますと、以上のやうな微妙なものでありますが、その表面は、文法上の誤りなども大變多いさうで、いかに贔屓眼に見ても、甚だ不手際なものであります。それは先程も述べましたやうに、一瞬の感覺から、すぐその場で、何か永久性のある精神的なもの(これこそ本當の現實なのでありますが)を抽き出さうとする困難な仕事、その仕事に參加する夥しい數の記憶のこんがらかつた現はれでありますが、――もう一つ、その出發點となつてゐる、感覺そのものの豐富さに依ると言はなければなりません。
コクトオの話によりますと、プルウストから受取つた手紙には、いつも「僕らがそんな事をしたとは
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