のやうな受精作用をするものとして説明がなされる。――まあ、さう云ふことをクルチウスも、べケットも書いてゐるのである。
 僕のいま滯在してゐる田舍も、そのコンブレエと同じくらゐ花だらけだ。六月の初めこちらへ來たばかりのときは、何處へ行つても野生の躑躅が咲いてゐたり、うすぐらい林の中を歩いてゐると、他の木にからまつて藤の花が思ひがけないところから垂れてゐたりした。そのうち小川に沿つてアカシアが咲き出した。その時分は雨ばかり降つてゐたものだから、もうあの花も散つたかしらと思つて、それをしばらく見に行かないことを氣にしてゐたが、とうとう或る日、雨を冒してその小川のほとりまで行つて見た。だいぶ散つてゐた。が、そんなところを通るものは誰もゐないと見えて、濡れてしつとりとした火山灰質の小徑の上にところどころ掃きよせられたやうに鮮やかに、すこし紫色を帶びながら一塊りになつてアカシアの花は落ちてゐたが、なんだかそこを歩くとぞつとするくらゐだつた。
 歸り途、いつまでも自分のまはりがいい匂がしてゐるので、始めて氣がついて見ると、僕の蝙蝠傘には、それで木の枝をこすつたと見えて、一面に花がくつついてゐるし、
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