キでにあまりにも生の榮譽を歌ひぬ。」(〔J'ai trop chante' jadis l'honneur d'e^tre vivant.〕)最後の詩集は幼年時の詩を集めた[#ここから横組み]“〔Poe`me d'Enfance〕”[#ここで横組み終わり](1928)であつた。以上の七卷の詩集のほかに、隨筆集[#ここから横組み]“Les Innocentes ou la Sagesse de Femmes”[#ここで横組み終わり](1923)[#ここから横組み]“Exactitudes”[#ここで横組み終わり](19330)及び囘想記[#ここから横組み]“Le Livre de ma Vie”[#ここで横組み終わり](1932)がある。最後の著には、佛蘭西のもつとも洗煉された教養と東洋の遺傳との融合した家族のおもひで、ことにピアノの上手だつた美貌の母のことや、レマン湖の靜謐、コンスタンチノプルの華麗などが、魅力のある筆で敍せられてゐる。しかしその書を完成せずに、ノワイユ夫人は一九三三年四月三十日巴里に死んだ。
底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
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