ノワイユ伯爵夫人
堀辰雄
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)Ralouka[#uはブレーヴェ付き]
〔〕:アクセント分解された歐文をかこむ
(例)〔Gre'goire Bibesco〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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ノワイユ伯爵夫人(Anna−Elisabeth Bassaraba de Brancovan, Comtesse Mathieu de Noailles)は一八七六年十一月十五日巴里に生れた。父は 〔Gre'goire Bibesco〕 公爵で、その希臘系の母方から Brancovan の名を繼いだ人である。母は Ralouka[#uはブレーヴェ付き] Musurus[#すべてのuはブレーヴェ付き] といひ、駐英土耳古大使をしてゐた Musurus[#すべてのuはブレーヴェ付き] Pashe の娘であつた。青みがかつた黒髮、蒼白い顏、大きな眼をした、小柄なアンナは、非常に東洋風な風采があり、希臘人を組先にしてゐることに少からぬ誇りをもつてゐる。生れたのは巴里であるが、少女時代をおほくレマン湖畔のアンフィオンにあるヴィラ・ブランコバンで過ごし、サヴォアの美しい自然から深い影響を受けた。又、コンスタンチノプルに旅をしたこともあつた。幼少のときから詩作をはじめ、ユウゴオやミストラァルなどにも會つたりした。二十一のとき Mathieu de Noailles 伯爵と結婚した。夫の母 Duchesse de Noailles からはイル・ド・フランスの明るい空を愛する趣味を得た。そのころ巴里のサロンに出入して、アナトオル・フランスやモオリス・バレスなどと知り合つた。二十五のとき處女詩集[#ここから横組み]“〔Le Coe&ur Innombrable〕”[#ここで横組み終わり](1901)を公にして、世を驚嘆せしめた。ユウゴオの影響のもとに、きはめて浪漫的な熱烈な詩風をもつて人生を歌ひ、その自然に對する愛情によつてフランシス・ジャムと竝び稱せられた。ことに[#ここから横組み]“〔Offrande a` Pan〕”[#ここで横組み終わり][#ここから横組み]“〔B
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