さういつた要素が何もかあるやうなこのモオリアックを、僕が好きにならざるを得ないぢやないか。ただ、すこし困ることがあるんだ。それはモオリアックがカトリック作家であることだ。それのために僕はいままでつい彼を敬遠してゐたのだが、それがまたいつか僕を彼から引き離すやうなことになるかも知れんね。どうも僕は一生カトリックにだけはなれさうもないからなあ。だが、僕のこれまで讀んだ彼の作品――ことに「テレェズ・デケルウ」なんかぢや、そんな宗教臭いところは何處にもないね。モオリアックがカトリックであることを知らなかつたら、全然そんな要素には氣がつかずにしまふのぢやないか知らん?
A でも、作家がカトリックである以上は、全然そんな要素のないわけではあるまい。
B うん、それが一番モオリアックを苦しめてゐる問題でもあるのだらうね。こんなことを云つてゐる、「私は作家だ、私はカトリックだ、そこに爭鬪があるのだ。」「カトリックであることは作家にとつては幸福だが、作家であることはカトリックにとつては甚だ危險なことだ」と。――ところで、そのカトリシズムなるものが、僕等にはなかなか解らないのだよ。ボオドレエルにしろ、ラン
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