て再び元の自己へ、神の許へ歸つてゆく。(その結末のあたりは未完に終てゐるが、序文でリヴィエェルの細君がさう解説してゐるのだ。)――まあ、さういつたやうな境遇の心理的研究のやうなものになつてしまつてゐる。リヴィエェルのねらつてゐたやうな小説的興味などはちつとも起らない。フロオランスといふ女だつて、ちつとも描けちやゐない。……この間讀んだモオリアックの「テレェズ・デケルウ」なんぞに比べたら、まるでなつちやゐないのだ。……ただ、あの生眞面目で、氣どりやのリヴィエェルが人生に對して持つてゐた愛、生の悦びを味へるものなら何でもかんで手に入れようとしてゐた意慾、さういつたものだけが悲しいまでに僕を打つてくるのだ。さうしてそれだけだ。が、本當にそれは悲しいまでになのだ。……
A そのモオリアックの小説つて、どんなの? その何とかいふ……
B 「テレェズ・デケルウ」か。これはもう素晴らしい小説だ。數年前、僕がはじめて小説を書き出さうとしてゐた頃にコクトオやラジィゲの小説を讀んで非常に刺戟されたものだつたが、まるであの時分みたいに僕はこの小説を讀んで昂奮してゐる位なのだよ。この一二年といふもの、僕もなん
前へ 次へ
全15ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング