た。勿論《もちろん》、彼はその混血児の側にはすこしも同情する気になれなかった。
 その晩はベッドへ横になってからも、何度も同じところへ飛んでくる一匹の蛾《が》のように、そのお嬢さんの姿がうるさいくらいに彼のつぶった眼の中に現れたり消えたりするのであった。彼はそれを払い退《の》けるために彼の「ルウベンスの偽画」を思い浮べようとした。が、それが前者に比べるとまるで変色してしまった古い複製のようにしか見えないことが、一そう彼を苦しめた。

        ※[#アステリズム、1−12−94]

 しかし翌朝になってみると、そのふしぎな魅力は夜の蛾のようにもう何処《どこ》かへ姿を消してしまっていた。そうして彼は何となく爽《さわ》やかな気がした。
 午前中、彼は長いこと散歩をした。そして、とあるロッジの中で冷たい牛乳を飲みながら、しばらく休むことにした。彼はこんなに爽やかな気分の中でなら、夫人たちに昨日からのエピソオドを打明けても少しもこだわるようなことはないだろうと思ったほどであった。
 それは町からやや離れた小さな落葉松《からまつ》の林の中にあった。
 木のテエブルに頬杖《ほおづえ》をついて
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