った。が、ただ彼女を取りまいているそういう混血児たちは何とはなしに不愉快だった。それは軽い嫉妬《しっと》のようなものであるかも知れないが、それくらいの関心は彼もこのお嬢さんに持っていたと言ってもいいのである。

 それで彼は何の気もなくそのお嬢さんのあとから歩いて行ったが、そのうち向うからちらほらとやってくる人人の中に、ふと一人の青年を認めた。それは去年の夏、ずっと彼女のそばに附添ってテニスやダンスの相手をしていた混血児らしい青年であった。彼はそれを見るとすこし顔をしかめながら出来るだけ早くこの場を離れてしまおうと思った。その時、彼はまことに思いがけないことを発見した。というのは、そのお嬢さんとその青年とは互にすこしも気づかぬように装いながら、そのまますれちがってしまったからである。唯《ただ》、そのすれちがおうとした瞬間、その青年の顔は悪い硝子を透して見るように歪《ゆが》んだ。それからこっそりとお嬢さんの方をふり向いた。その顔にはいかにも苦《にが》にがしいような表情が浮んでいた。
 このエピソオドは彼を妙に感動させた。彼はその意地悪そうなお嬢さんに一種の異常な魅力のようなものをさえ感じた。勿論《もちろん》、彼はその混血児の側にはすこしも同情する気になれなかった。
 その晩はベッドへ横になってからも、何度も同じところへ飛んでくる一匹の蛾《が》のように、そのお嬢さんの姿がうるさいくらいに彼のつぶった眼の中に現れたり消えたりするのであった。彼はそれを払い退《の》けるために彼の「ルウベンスの偽画」を思い浮べようとした。が、それが前者に比べるとまるで変色してしまった古い複製のようにしか見えないことが、一そう彼を苦しめた。

        ※[#アステリズム、1−12−94]

 しかし翌朝になってみると、そのふしぎな魅力は夜の蛾のようにもう何処《どこ》かへ姿を消してしまっていた。そうして彼は何となく爽《さわ》やかな気がした。
 午前中、彼は長いこと散歩をした。そして、とあるロッジの中で冷たい牛乳を飲みながら、しばらく休むことにした。彼はこんなに爽やかな気分の中でなら、夫人たちに昨日からのエピソオドを打明けても少しもこだわるようなことはないだろうと思ったほどであった。
 それは町からやや離れた小さな落葉松《からまつ》の林の中にあった。
 木のテエブルに頬杖《ほおづえ》をついて
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