る現在、その日記がこうして終るともなく終ろうとしているのも当然であるのだろう。此日記にいつかまた別の弾んだ心で向えるような日の来るまで、しばらくそれを仕舞っておくため、私はいま、この物憂い筆をとっていると言えようか。
ここ数日、雲のたたずまいが険しく、雨が思い出したように降ったり歇《や》んだりするような日が続いている。この頃はよく明け方なんぞに時鳥《ほととぎす》が啼《な》いているらしく、女房の一人が「ゆうべ聞いた」などと言うと、他の女房がすぐそれに応じて「けさも啼いていた」などと話し合っているが、人もあろうに、この私がまだこの夏は一度もそれを聞かないなんぞと言うのは羞《はず》かしいような気がする程。――それほど、この頃はどう云うものか我にもなくぐっすりと寐《ね》てばかりいる自分をかえり見て、私は皆の前では何も言わずにいたけれど、心のうちではひそかに「自分はいくらぐっすり寐ていたって、本当に打ち解けて寐ているわけではないのだ。恐らくこの頃私自身にさえ見向きもされなくなってしまった私の物思いが、毎夜のように自分の裡《うち》から抜け出して、時鳥となり、あちらこちらを啼き渡っているのだろう」
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