その後一年と立たないうちに、その御方のところに女の御子様がお生まれになったとか云う事を耳にして、或日私がそれをそれとなく殿にお訊《き》きすると、「そう、そんな事もあったかも知れんな」と殿はいかにも冷淡そうに仰《おっし》ゃられたぎりだった。私の前なのでわざとそう素知らぬふりをして入らっしゃるばかりでもなさそうだった。そして、「どうだ、ひとつお前がその子を引き取って育ててやらないか?」などといつも子の少いのを歎いていた私に反って挑まれるように仰ゃられるのを、私は胸を刺されるような思いで聞いていた事も、今、ひょっくりと思い出す。しかし、そんな一昔前の自分と言ったら、只もう自分の不為合せな事ばっかしで胸を一ぱいにしていて、自分のほかにもそんなお傷《いたわ》しい御方さえいらっしゃる事なんぞ、知らずにいられたら知らずにいたい位だった。……
そういう一人よがりな私であったのに、それがこの頃、身も心も衰え出しているとでも云うのか、ときおり見る夢までが妙に気になってならない程で、行末なども何かと心もとなくて、自分が死んだ跡には道綱《みちつな》だけがただ一人ぎり頼りなく残されることを思うと気がかりでなら
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