もう殆ど忘れかけようとしていたのを、何ということもなしに思い出させられた。――なんでも故|陽成院《ようじょういん》の御後だとか云われる、その宰相がお亡くなりになって、跡にたった一人の御|女《むすめ》ばかりがお残されになった時、そう云う事をお聞きになるとそのままにはお聞き過ごしになれない例の御性分から、殿はその御方を何くれとなくお世話なすっていらしったようだったが(一度などは私のところからもあるたけの単衣《ひとえ》をその御方の許へお取り寄せになった事もあった――)、そのうちその不為合《ふしあわ》せな御方は、御自分の本意《ほい》からでもなく、ときおり殿をお通わせになさっていられるらしい御様子だった。昔気質《むかしかたぎ》の人らしく、それに殿よりも少し年上だったりしたので、それまで大ぶお躊躇《ためら》いなすったらしかったが、やはり何かと行末が心細くお思いなされていた折でもあろうし、そう頼もしそうにもない殿をもお頼みになるより外はなかったのかと思えば、反ってお気の毒なような位であった。しかし、殿との御仲は、恐らくその御方のお思いなすったのよりも、ずっと果敢《はかな》いものにちがいなかった。――
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