、殿から珍らしくも御文があった。何だかこちらへ入らっしゃりそうな御様子にも見えるので、きょう殿にいきなりその養女を見られてはしようがない、まあ暫くは知られないようにして、なりゆきに任せて置いた方が好いと思うものだから、出来るだけ急いで連れもどるようにと皆に言いつけた。
しかしそうやって急がせた甲斐もなく、それより殿が一足先きに来てしまわれた。まあ、どうしようかしらと思い惑っているうちに、やがて皆も帰って来たようだった。殿は少し不審そうにしていらしったが、道綱が、狩衣姿《かりぎぬすがた》ではいって来るのをお認めになると、「大夫《たいふ》はどこへ行っていたのだ?」とお訊《き》きになった。道綱は、さも困ったような様子で、何かと苦しそうに言い紛らしていた。私は側からそれを見るに見かねて、いずれ一度は殿にも打ち明けなければならない事なのだからと思って、「実は、私どもの身よりが少くて、あまり心細うございましたので、或る御方に棄てられました子を貰って参ったのでございます」と言葉のうらに少し皮肉を籠《こ》めながら言った。
「それは見たいな」と殿はしかし上機嫌そうに仰《おっし》ゃって、それからふと私の顔を見据えるように「一体、誰の子なのだい?」と小声になって訊かれたが、私が相変らず笑っているような、いないような目つきをしているのに漸《や》っとお気がつきになると、急に御自分も目を赫《かがや》かせられながら、「だが、まさかおれがもう年を取ったので、代りに若い奴を手に入れて、おれなんぞは追い出そうと言うのじゃあるまいなあ」と言われた。
「御目にかけてもよろしゅうございますが――」と私もそれについ釣込まれてほほ笑《え》み出しながら、「――でも、御子様にして下さいますか?」
「いいとも。そうしようではないか。――だが、まあ、どんな奴だか早く見せてくれ」殿はいかにも好奇心をおさえ難そうに急《せ》かせられた。私も私で、まだ一目も見ないその少女が見たくて溜《たま》らなかったので、すぐにこちらへ来るようにと呼びに遣らせた。
その少女は十二三と聞いていたが、その年にしては思ったよりも小さくて、まだいかにも子供子供していた。近くへ呼び寄せて、「立って御覧」と言うと、素直にすぐ立って見せたが、身丈《みのたけ》は四尺位で、いかにも姿のよい子で、顔なども本当に可哀らしかった。只、髪だけは、幼少の折からの辛苦がそこにまざまざと見られでもするかのように、大ぶ抜け落ちて、先きの方が削《そ》がれたようになってい、身丈には四寸ばかりも足りなかった。
そういう穉《いとけな》い少女を殿はつくづくと見入っていらっしったが、「可哀らしい子じゃないか。一体、誰の子なのだ?」とあらためて私の顔を見据えられた。
「本当にお可哀いとお思いなされます?」と私は言いながら、「では、お明かししてもよろしゅうございますけれど――」と静かにほほ笑んでいた。
殿はとうとうこらえ兼ねたように言われた。「早く教えてくれ」
「まあ、おうるさいこと」私は急にすげなさそうに言った。「まだお分かりになりませんの? あなたの御子様ではありませんか」
「何、おれの子だって?」殿は側で見ているのもお気の毒な位、おあわてなすった。「それはどういうのだ、何処のだ?」
私はしかし、相変らず、冷やかにほほ笑んでいるぎりだった。
「いつかお前に貰ってやらないかと言った、あの子か?」殿はそれを半ば御自分に向って問われるように問われた。
「さあ、その御子様かも知れませんが……」
殿は、そういう私には構わず、一層しげしげとその少女を見入られていた。「やはりあいつらしい。――だが、あいつがこんなに大きくなって居ようなどとは夢にも思わなかった事だ。いまごろ何処をうらぶれていることだろうかと、ときおり急に気になり出すと、もう矢《や》も楯《たて》も溜らない位だったが……」そう云う御声はだんだん震え出してさえいられた。
少女はそこに泣き伏していた。それを見ていた側近の者共も、そんな物語にでも出て来そうな奇しい邂逅《かいこう》には泣かされない者はいないらしかった。――そういう裡《うち》でも私だけは、まるで涙ももう涸《か》れてしまったとでも云うように、そしてそんな自分自身をも冷やかに笑っているより外はないかのように見えた。
やがて、殿が何度となく単衣《ひとえ》の袖を引き出されては御目を拭われていらっしゃるのを、私は珍らしい物でも見るようにそのまま眺めていたが、それから漸っと言った。「もうお歩行《あるき》のついでにもお立ち寄りにならなくなったような私なんぞの所へ、こんなに可哀らしい子が参りましたけれど、これからはどう遊ばします?」
暫く殿はなんともお返事なさらずにいた。が、ようやく顔をお上げになった時は、もういつものように私に挑むように目を
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