までも出仕《しゅっし》の支度をぐずぐずしていると、再び使いの者が来て、お待ち兼ねのようですからどうぞ早く入らしって下さいませ、としきりに催促しているらしかった。何んの用があるのか分からなかったけれど、何か私にも気がかりでない事もなかった。
が、そのとき頭の君は私の方へも別に御文を持ってよこされたのだった。披《ひら》いて見ると、「風邪気味で、折角ゆうべ御約束したものを拝見に伺えず、なんとも残念でなりませぬ。私なんぞには忖度《そんたく》いたし兼ねます事ながら、何か殿にわざと御催促なさりにくいような御事情がおありなさいまするなら、然るべき折を見てなりと、よいように御取りなし下さいまし。此日頃、われとわが身が不安になるほど何が何やら分からず思い乱れておるような私の気もちをも御推量下すって」といつもに似ず乱雑な、読みにくいほどな手跡で、認《したた》められてあった。
私はいろいろ考えあぐねた末、それに対する返事はそのまま出さずに置いた。
しかし、あくる日になってから、矢っ張それぎり返事を差し上げないのは、反ってこちらで何んだかこだわっているようで、若々しい遣《や》り方《かた》ではないかと私は考え直して、いかにも何気なさそうに返事をすることにした。「きのうはこちらに物忌《ものいみ》などいたす者がございまして、御返事もつい書けずにしまいました。その事をどうぞ川水の淀《よど》みでもしたかのように、心あってかなんぞとはお思いにならないで下さいまし。殿へはこちらからは使いをやるよすがさえ無いのが、御存知のとおりの、今のわたくしの果敢《はか》ない身の上。――御文の紙のいろは、昼間御覧なすっても、同じように覚束《おぼつか》のうございましょうとも」
夕方、その文を頭の君の許へ届けに往った使いの者は、先方に法師姿をしたものがおおぜい集ってごった返していたので、只、それを置いて参りましたと言って戻って来た。
まだ風邪気味で寐《ね》ていらっしゃるらしい頭の君から「きのうは法師共がおおぜい参っておりました上、日も暮れてからお使いの方が見えられましたので――」などと言いわけがましく書いてよこされたのは、その翌日になってからだった。「――ここ数日、どうしたのか私の庭を離れず、一羽のほととぎすが卯《う》の花《はな》の蔭などでしきりに啼《な》き立《た》てておりますが、こうして日ごと一人きりで歎き明
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