事ばかり繰り返して仰《おっし》ゃるものだから、反ってしまいにはその仰ゃっている事に最初ほどの熱意がないようにさえ――そして只それでもって私を苦しめなさるためにのみ、それを私に向って繰り返してばかり入らっしゃるようにも――私には思えたのだった。
「まあ、何んと思し召して、その事ばかり仰ゃるのでしょうね」と私はもうそれを打切らせようとして、「何度も申しましたように、まだほんの子供で、どうやらまあその八月頃にでもなったら、初事《ういごと》もあろうかと心待ちにされている位なのですから――」と、そんな事までずばりと言った。
 そう私に言われると、さすがに頭の君も二の句を継げなそうにしていられたが、
「でも、いくらお小さくとも、物語ぐらいはし合うものだと聞いておりますが――」と暫くして言い出された。
「姫はまだそんな事も出来そうもないほど、幼びているのです。誰にでも人見知りをしてしようがない位なのですからね。」
 私は簾《みす》ごしに、だんだん稍《しょ》げたようになって私の言葉を聞いていらっしゃる頭の君を見透しながら、更らにすげなく言い続けていた。……
「そう仰ゃられるのをこうして聞いておりますと、只もう胸が一ぱいになってきて溜《た》まりませぬ」そう言って、頭の君はとうとう身もだえするようにその場に顔を伏せた。
「何故、そう私にはつらくおあたりになるのでしょう。まあ、そうまで仰ゃられなくとも。――いいえ、もう私はなんだか自分で自分が分かりませぬ。せめて、その簾のなかへでも入れさせていただけましたら……」
 だんだん興奮してきながら、何を言っているのだか自分にも分からないような事を言い続けているように見えた頭の君は、そのとき突嗟《とっさ》に――どうしてもそう考えてやったとは思われないほど突嗟に――ずかずかと簾の方に近づいて、それに手をかけそうにせられた。
 私はそれまでそれを半ば目をつむるようにして聞いていたが、いきなりそんな事をせられそうなのに気づくと、思わず後ずさりながら、突嗟にきっとなって、「まあ、簾に手をおかけになるなんて、何という事をなさいます?」と声を立てた。同時に私はその簾の外側から、それに近づいた頭の君と一しょに縁先きに漂っていたにちがいない橘の花の匂がさっと立ってくるのを認めた。私はその匂を認め出すと、急に自分の心もちに余裕が生じでもしたように、一層きびきびと、
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