いる私に何んとでもしてもう一度会えるような機会をお求めになって入らっしゃるらしかった。
 人の好い道綱は、そんな私達の楔《くさび》になっているのを苦にして何かと責め好い私の方ばかりを責めるのだった。そうなると、皆の手前も、私はあんまり自分だけが強情にしているように見えるのも何んだから、いっその事なりゆきを自分でない他のものにすっかり任せるような気もちになって、道綱を再び殿の許《もと》へ使いに遣ることにした。ことによると又殿が前のようにその事で何んとかかとか私をお意地めなさりはすまいかとも思われたが、そうされたらばされたで又その時次第の気もちで頭の君の方へも今の自分には言われない事も言われようと気構えしていたところ、殿はこんどはひどく御機嫌好さそうに、「そんなに右馬頭《うまのかみ》が熱心にいうのなら、八月頃にでも許してやると好い。それまで心変りせぬようだったら」などと言って寄こされた。それは思いがけなかったが、しかし八月頃と聞いて、私は何んとなくほっとした。まだその八月までには大ぶ間がある、それまでに何かその殿の一言で決せられた運命から撫子をまぬがれしめるような事がなぜか知ら起りそうな予覚が私にしないこともないからであった。「八月まで待てとはまあ何んという待遠しさでしょう」頭の君もそれと同じような予覚からか、殿の御返事をお告げすると、あたかも私を怨《うら》むように言って来られた。「せめて五月にでもなったらと思って居りましたのに。――せっかく私のところへ来かかっているように見える時鳥《ほととぎす》も、あんまり不運な私を厭《いと》うて、このまま立ち寄りもせずに、私から去って往ってしまうような気がいたされてなりませぬ」しかし、どうして私にばかり頭の君はそう怨むような事を言って来られるのだか分からない位である。
 そのままその四月も半ばを過ぎた。

 四月の末になり、橘《たちばな》の花の匂の立ちだした或夜、だいぶ更けてからだったが、私は自分にいろいろの事を言ってよこされる頭の君を、不本意ながら撫子をそのうちお許しすると御約束した以上はそう素気《すげ》なくばかりも出来ないので、ともかくもお通しさせる事にした。頭の君はこんどは、前とは打って変って、重々しい態度をして入らしったが、二人ぎりになったとき私に向って言い出された事は、しかしいつもと少しも変らない怨み言だった。あんまりその
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