の車が帰ってきた。
 なんでもその祭の帰りぎわ、混雑をきわめた知足院のあたりで道綱の車は一台の小ざっぱりとした女車のうしろに続き出したので、そのままその跡を離れぬようにして附けて往くと、向うでもそれに気がついたらしく、家を知らせまいとするのであろうか、ずんずん車を早めて他の車の間に紛れ込もうとするのを、とうとう最後まで附けて往って、その女の家(大和守の女《むすめ》だとか……)をつきとめて来たとか云う話だった。――その小さな冒険は、内気一方に見える道綱にも少からず気に入ったらしかった。そうしてその跡を附けて往った車の若い女のことを、その姿を見もしないのに、何んとなく懐しく思《おも》い初《そ》めているように見えた。
 あくる日になって、何を思われたか、殿から御文を寄こされた。しかし、きのうの出会には一切お触れになっていなかった。私はその返事の端にすこし拗《す》ねたように、「きのうは大層まばゆいばかりのお出立《いでだち》だったと皆が申しておりますが、どうして私達にだけはお見せ下さらなかったのですか。本当に若々しいなされ方でしたこと」と書いてやったら、すぐ折り返し、「あれはおれの姿が老いぼれていて羞しさのあまりにした事なのだ。それをまた、けばけばしい姿なんぞと誰が言っているのか」などと書いて来られたが、よくもまあそんな空々《そらぞら》しい事が仰ゃれたもの。

 そんな葵祭《あおいまつり》が過ぎてから、殿は又かき絶えたように入らっしゃらなくなった。
 道綱は、この頃、しきりに例の大和守の女《むすめ》の許《もと》へ文をやっては、内気な子だから、女の方の返事の思わしくないのを、一人でもどかしく思っているらしい。私にはまだ何も打ち明けてくれないので、こちらも何も言わずに見ているよりしようがない。日ねもす何か憂わしげな様子で庭面《にわも》など眺めながら暮らしているかと思うと、次ぎの日は小弓の遊びなどに出かけて往って、きょうは上手に射たなどと帰って来るなりその日の模様をはしゃいで皆に話したりするのだった。
 撫子の方はまた撫子で、ようやく世の中と言うものが分かりかけて来た少女らしく、あれから何か私に気を置いて、つとめて顔をさえ見合わせないようにしている。小さい心に過ぎていろいろ思っている事もあろうかと、いたいたしいような位。――私はもうこのまま殿がいつお絶えになろうとも、自分自身は思い
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