すごすごお帰りになってしまわれたらしかった。おおかた小路の女の所へでも入らしったのだろうと思った。が、朝になって、何だかそのままにして置いても気になるし、それかと云って戸をちょっとお明けしなかった間ぐらいはとも思うものだから、私は「歎きつつひとりぬる夜の明くるまはいかにひさしきものとかは知る」と、いつもよりか少しひきつくろった字で書いて、萎《しお》れかけた菊に挿してやった。すぐ御返事があったが、「私だってお前が戸を明けてくれるのを、夜の明けるまでだって待って見ようとしたのだ。が、折悪しく急ぎの使が来てしまったものだから――」と書いてあるぎりだった。いつもに変らず、こちらがこれほどまでに切ない心もちをお訴えしているものを、あの方はさも事もなげにあしらわれようとしかなさらないのだ。どうしてそんな女の事なんぞを私にもっと出来るだけお隠しなすって、いま暫くなりと、「内裏《うち》へ」――などと仰ゃってでも、私をお瞞《だま》しになっていて呉れられなかったものなのだろうか。
それからだっても、あの方はいかにも何気ないような御顔をなすって、おりおりお見えにはなったが、それすらだんだん途絶えがちにな
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