じっと思い詰めたようにしていると、あの方は「こんな事は世に有りがちな事だのに、そんなに歎いてばかりおられるのは、わたしの事をちっとも頼みに思っていてくれないからなのだろう」と私を反って恨むように言われるのだった。が、そのうちに、ふと硯にあった御文を見つけられ、それを御手に取られてお読み出しになったかと思うと、しばらくの間それから御目をも放さずに、さもお気の毒なと言いたげなお顔をなすっていらしった。……
 その後、日の立つにつれて、そんな遠い旅空にある父の事を思いやるだけでさえ気がかりでならないのに、私がこうしてもういよいよあの方お一人にお頼りするより外はないようになればなるほど、何だかだんだんあの方の御深切がお口ほどでもないように思われてくる一方で、その心細いことといったらないのだった。

 その明くる年の春から夏にかけて、私はずっと悩み暮らし、八月の末になって道綱《みちつな》を生んだが、いまから思えば、まあその頃があの方も私を一番何くれとなく深切になすって下すっていた頃だったようだ。
 ところが、その九月になって、あの方がお出かけになられた跡に手筥《てばこ》が置いてあったので、何の気
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