下さいませ」などとばかりで、少しさしぐみながらお勤を続けていた。
 ああ、一昔前、此頃は女だっても数珠《ずず》をさげ経を手にしていない者はない位だと人々の語るのを聞き、「そんな尼のような御顔をなすっていらっしゃるから寡《やもめ》におなりになるのでしょう」などと非難めいた事まで言った、その頃の自分の心は何処へ行ってしまったのやら。そんな事を私が言っていたのを聞いた人々がもしいまの私を見たら、こうして明け方から日の暮れまで倦《た》ゆまずにお勤しているのを、まあ、どんなに笑止に思うことだろう。こうまで果敢《はか》ない人生をどうしてあんなに気強い事が言えたのかと、いまさらながら昔の自分のそんな無信仰が悔やまれてならないのだった。
 そうやって二十日ばかりお勤をしつづけている間に、私は夜分になると何だか苦しいような夢ばかり見せられていたが、或晩などは、私はそんな夢の中で、腹のなかを這いまわっている一匹の蛇のために肝《きも》を食べられていた。――あんまり恐ろしかったので思わず目を覚ましたが、それからまた私がうとうととしかけると、また夢でもって、それを癒すには顔に水を注ぐが好いと、何人とも知れずに教
前へ 次へ
全66ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング