いがけないような事になるかも知れないのにと、またしても例の物思いをし出そうとしている自分に気がつくと、私はもうそんな自分をば勝手に一人で苦しませるために、さっきの呉竹がますます傾き出しているのをも、わざとそのままにさせて置いた。

 この頃あの方はずっと近江とか云う女のもとへお通い詰めだと云う事をお聞きしていた。
 そんな或日の事、あの方から珍らしく御消息があって「私の心の怠りでもあるが、いま忙しい事も忙しいのだ。夜分でもと思うけれど構わないか。何だかお前が怖いような気もするが――」などと書いておよこしになった。私は「只今気分が好くありませんので何も申し上げられません」と素っ気ない返事をやったが、そのすぐ跡からそんな返事をやった事でもって自分から絶え入るような思いをしていると、その夜、あの方はいかにも平気そうな御様子をなすってお見えになった。ほんとうに悔やしいと思って口も利かずにいると、あの方は悪びれもせずに常談ばかりお言いになっていらしった。それが私にはとても辛くて辛くて、とうとうこの日頃ずっと我慢しつづけていた事をお訴えし出していると、そのうちにあの方は何とも御返事をなさらなくなっ
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