てしまおうとして、「そうなって鷹も飼えなくなられたら、どうしますか」と言うと、道綱はいきなり立ち上って往って、自分の飼っていた鷹を籠《かご》から出して矢のように放してしまった。それを傍で見ていたもので泣き出さないものはなかった。
 丁度その暮がたに、あの方から御文が来た。また天下の空言《そらごと》だろうと思えるので、気強く「只今は心もちが悪うございますので、いずれ後ほど――」とそのまま使いの者を返させた。そんな事もあった。

 七月、――お盆が近いので何かと世間では騒ぎ出していた。毎年母の盆供《ぼに》の事だけはあの方が几帳面《きちょうめん》になさって下すっていたのに、今年はどうなるのやら。もうあの方も私からお離《か》れになったのかと、亡き母も地下で悲しくお思いになるかも知れない、しかしまあ、もうすこし待って見ようと思っていたところへ、何時ものようにちゃんと盆供を調えて下すった上、御文まで添えてあった。私はそこで「亡くなった人の事はお忘れでないと見えます。しかしわたくしの事などは――いいえ、こんな果敢《はか》ない身の事などは、本当に自分でも忘れられたら忘れてしまいたい位なのですものを」と
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