たがなしにその御文を受取ってしまってから、はじめてそれが柏木様からのものである事を知ったのだった。が、見れば、御料紙なんぞもこういう折のにかなったものではなかったし、大層御立派だとお聞きしていた御手跡もこれはあの方のではないのではあるまいかと思われる程のものだったし、どうもすべてが疑わしいので、御返事はどうしたものだろうかと迷っていると、昔気質《むかしかたぎ》の父はしきりに恐縮がって、「やはりお出しなさい」と私に無理やりにそれを書かせた。それをきっかけにして、それからもあの方は屡《しばしば》私に同じような御文をおよこしになったけれど、最初のうちは私の方ではそれほど熱心になれず、返事も出したり、出さなかったりしていた位だった。
そう云ったごく通り一遍な消息をやりとりしているうちに、その夏も過ぎて、秋近くなった頃、どうした事からだったろうか、とうとう私はあの方をお通《かよ》わせするようになった。そうしてその頃はといえば、あの方は何を措《お》かれても、殆ど毎夜のように私の許《もと》にお通いになって入らしったが、そのうちにやがて十月になった。
その月半ば、私の父は陸奥守《むつのかみ》に任
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