を読んでいると、何くれとお書きになって、最後に「帳《とばり》の柱に結わえて置いた小弓の矢を取ってくれ」と言われるので、まあ、あの方のこんなものが残っていたのにと、やっと気がつき、それを取り下ろして持たせてやるような、悔やしい事さえもあった。
そんな風に、あの方がますます私からお離《か》れがちになっていられる間も、私の家は丁度あの方が内裏《うち》から御退出になる道すじにあたっていたので、夜更けなどに屡《しばしば》あの方が私の家の前をお通りすぎなさるらしいのが、折から秋の長い夜々のこととて、ともすれば私は目覚めがちなものだから、いくら聞くまいと思っていても、手にとるように耳にはいってくる事がある。そんな時などには「何とかしてあれだけは聞かずにいたいものだが――」と思いながら、しかもその一方では、いましがた私の家の前をつづけさまに咳《しわぶき》をなさりながらお通りすぎになったあの方が、だんだんその咳と共に遠のいて往かれるのを、何処までも追うようにして、私は我知らず耳を側立《そばだ》てているのだった。……
その二
それから十年ばかりと云うもの、私の父はずっと受領《ずりょう》として
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