いたようだから」と、いつもに似ずお心がこもっているようだった。こうやってまでして、山から下りたばかりの私をおいたわりになろうとなすって居られるあの方のお心ばえも、そんな生憎《あいにく》な物忌のために、しばらく私からお遠のきになって入らっしゃる間に、又昔のようにつれなくおなりになられそうな事ぐらいは、私にもよく分かっていた。しかし私には、それをそのままに任せて置くよりしかたがないのだった。
その七
そう云うあの方の御物忌のお果てなさる日を私は空しくお待ちしているうちに、やがて七月になったが、或日の昼頃に「やがて殿がお出《いで》になる筈です、此方におれとの仰せでした」と言って、侍どもがやって来た。こちらの者も立ち騒いで、日頃から取り乱してあった所などをあわてて片付け出していた。私はそれを何かしら心苦しいような思いで見ていた。が、なかなかお見えにならないままに、日が暮れてしまったので、来ていた侍どもも「御車の装束などもすっかりなすってしまわれたのに、どうして今になってもお見えにならないのかしら」などと不思議そうに言い合っていた。そのうちにだんだん夜も更けて往くばかりだったが、とうとう侍どもが人を見せにやると、その使いの男が帰ってきて「今しがた装束をお解きになって御随身《みずいじん》たちもお引取りになりました」と告げ知らせた。
その翌朝、道綱が「どうして入らっしゃらなかったのか伺って参りましょう」と自分から言って出かけて往った。が、すぐ戻って来、「ゆうべは御気分がお悪かったのだそうです、急にお苦しくなられたので、伺えなくなったと仰ゃっておられました」と私に言うのだった。そんなお心の見え透くような御言葉なら、いっそ何にも聞いて来なかった方がよかった位だったのに。同じ御返事にしたって、もっと私の気もちをいたわって下さるようなお言葉がお言いになれないものなのかしら。せめてもの事、「急に差し障りが出来たので往かれなくなってしまった。若《も》しか都合がついたらすぐ往こうと思っていたので、車の用意もそのままにさせて置いたのだが――」なんぞとでも言って下されば、まだしも私の気もちも好いものを。
矢っ張自分の思ったとおり、少しはお心が変られるのかなと考えたのはあの時の私の考え過しで、あの方は相変らず以前のあの方だけだったのらしい。そうして私だけが――そう、私は少くとも、あの
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