では山を下りでもしたら罰があたるだろう。――どうだ、大夫、お前はこうしているのをどう思っているな」と傍にいた道綱をお振り向きになって尋ねられた。「大へん苦しゅうございますが、いたし方がござりませぬ」と道綱は打ち伏したまま答えた。「かわいそうに」とあの方は仰《おっし》ゃられながら「じゃ、とにかくお前がお母あ様に出ていただきたいと思われるなら、車をこちらへ寄こしてくれ」とお言いつけなさりも果てぬうちに、もうあの方はお立ちになったままで、そこいらに散らばっていた物なんぞを御自分で取り集められ出した。そうしていつの間にか其処に寄せられたお車の中へそれをみんな入れさせ、それからその居間に引いてあった軟障《ぜじょう》までも御はずしになり出していた。
私が呆れて物も言えずにそれを見ていると、人々は互に目食《めく》わせしたりしながら、笑を含んで、そういう私の方を見守っているらしかった。「こうしてしまったら、此処をお出でになるより外はあるまい。まあ、み仏にもよくわけを申し上げると好い、それが作法のようだから――」などと、あの方は事もあろうにそんな常談まで仰ゃっていた。私はもう一と言も口がきけず、車の支度がすっかり出来てしまってからも、いつまでもじっと身じろぎもせずにいた。
あの方の入らしったのは申《さる》の刻頃だったのに、もう火ともし頃になってしまっていた。しかしまだ私がなかなか動きそうにもなかったので「よしよし、おれは先へ往くぞ。あとは、大夫、お前に任せる」と道綱にお言いになって、ずんずん先に出て往かれた。道綱は「早くなさいませ」と私の手をとって、いまにも泣きそうにしていた。こうなってはもうどうにもしようがない、みすみす山を出て行かなければならない私は、自分なんだか他人なんだか分らないようなほどになっていた。……
大門を出ると、あの方も同じ車に乗って来られ、道すがら、いろいろ人を笑わせるような事ばかり仰ゃっていた。けれども、私は物も言う気にはなれなかった。一しょに乗っていた道綱だけ、ときどき笑を噛み殺しながら、それに内気そうにお答えしていた。
はるばると乗って、やっと家に着いたのは、もう亥《い》の刻にもなっていた。
京では、昼のうちから私の帰る由を言い置かれてあったと見え、人々は塵掃《ちりはら》いなどもし、遣戸《やりど》などもすっかり明け放してあった。私は渋々と車から
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